執筆者:弁護士・弁理士 田中雅敏、弁護士・弁理士 原慎一郎
■企業と知的財産
知的財産と聞くと、一般的には、最先端の科学技術である特許発明や世界的に有名となった一流ブランド、あるいは大ヒットした映画や音楽などがイメージされ、特に中小企業にとっては、「あまり関係のない話だ」と考えられる方も少なくありません。
しかし、実際には、中小企業こそ、知的財産権は、これを活用することで大きな競争優位性を確保できることもあれば、事業の存続が危ぶまれるリスクにもなりうるという点で、最も重要な経営上のリソースの一つと言えます。
■知的財産とは
では、そもそも「知的財産」とは何かですが、これについては、次のようなものが挙げられます。
このうち、物の構造や作り方、方法などといった「アイデア」を保護するものとして代表的なのは特許や実用新案です。また、商品の名前やロゴ、ブランドなどを保護するものとして代表的なものとしては商標や不正競争防止法(周知・著名表示の保護等)が挙げられます。さらに、物品や店舗のデザインなどは意匠権で保護されていますし、楽曲や文章、写真、プログラムなどの創作的な表現は、著作権によって保護されています。これら以外にも、営業秘密などを保護するものとして、不正競争防止法があります。
これらの各種権利等によって守られている対象を無断で複製したり使用したりした場合は、差止め、損害賠償、信用回復措置などの民事上の責任に加え、刑事上の責任も追及されることがあります。
このため、商品を製造して販売する会社であれば、その商品に具体化されたアイデアは「発明」として、デザインは「意匠」として、商品名は「商標」として、ノウハウは「営業秘密」としていくつもの知的財産に関連性を有しており、その会社が特許権や商標権などの知的財産権を取得していれば、模倣品を製造・販売する者に対してその中止や損害の賠償などを請求できることとなる反面、その商品の製造・販売が他人の知的財産権を侵害するものである場合には差止め、損害賠償等の責任を負わされる可能性があります。
■知財がビジネスリスクとなるケース
商品を製造販売する会社が他人の知的財産権を侵害してしまうことがないように、あらかじめ当該商品に関する特許や商標の事前調査を行うべきことは既に広く知られているものと思われます。
特に、商品やサービスの名前、場合によっては会社の名前などについて、必要な商標が取得できていないために、多額の損害賠償を支払わされたり、急に名称が使えなくなってしまったりということで、重大なトラブルになることは、実は頻繁にあるところです。
商品やサービスの名前を決める際には、必ず商標調査をしなければなりませんし、可能であれば、商標登録もしっかり済ませておく必要があります。
(1) 「どん兵衛」vs日清食品
山口県萩市を中心に、中国地方などでうどんやそばなどを提供する外食チェーン店を20店舗程度経営していた「どん兵衛」が、カップうどん「どん兵衛」の製造元である日清食品から、商標権侵害を理由に、1億1000万円の損害賠償と「どん兵衛」の名称の使用中止を求める訴訟を提起された事件がありました。このようなケースでは、一地方のロードサイドの麺類を提供するに過ぎなかった「どん兵衛」が、日清食品の大ヒットカップ麺である「どん兵衛」と関係がある、と思う消費者はほとんどいなかったのではないかと思います。しかし、そのような「消費者が間違うことはない」とか、「一地方の小規模な店舗だから」という理由で商標権侵害が正当化されることはなく、結果的に他人の商標権を侵害してしまえば、大きな法的責任を負うリスクがあると言えます。なお、この「どん兵衛」は、日清食品との間で、2010年11月に、店舗名称の変更等を内容とする和解をしましたが、結局、2011年には、経営破綻に至ってしまいました。
(2) 「ゆうメール」vs日本郵政
このように、うっかり他人の登録している商標を使用してしまって大きな法的問題となってしまうのは、中小企業だけではありません。札幌市でダイレクトメールの発送等を行っていた会社が、「ゆうメール」の商標を保有していたところ、日本郵政の「ゆうメール」がその商標権を侵害するということで訴えられた事件がありました。日本郵政のような大きな会社でも、こういった自社のサービスの名称を決める際の商標の検討が不十分で、トラブルに直面することがあるという、良い例を示した事件とも言えるでしょう。この訴訟は、日本郵政側が不利となり、2012年9月、日本郵政が札幌の会社から、この商標権を買い取る形で、和解により終結しています。
企業規模にかかわらず、商標の調査や検討がいかに重要かということを、この例は、私たちにわかりやすく教えてくれます。
新しい商品やサービスの名前を決める際には、必ず商標調査を行うことが必要です。
これら以外に、WEBサイトや販促物などのデザインや表現が他人の著作権を侵害していたとして問題になるケースも、近年、非常に多くなっています。
ところで、多くの場合、これらのWEBサイトや販促物のデザインや表現は、自社では作成せず、デザイン会社や広告代理店等に外注されているのではないかと思われますが、その外注先のデザイン会社や広告代理店が著作権侵害をしていないかという点まできちんと確認をとっているという会社はどれくらいあるでしょうか。最近では、このような外注先のデザイン会社や広告代理店が著作権侵害をした結果、発注元の会社が責任を負わされるというケースも増加している点に注意が必要です。
(3) 「パンダイラスト事件」(東京地判平成31年3月13日)
菓子等を製造するA社は、新しい菓子のパッケージデザインを制作するにあたり、デザインの外注先であるB社から提案されたパンダのイラストを採用し、これを菓子の外箱に印刷して販売したのですが、実はこのパンダのイラストは、全く別のX社が、自社の手ぬぐいを製造するにあたってデザインした柄であったものを、B社の社員が、無断でこれを転用したものだったのです。そこで、X社は、デザインを盗用したデザイン会社であるB社ではなく、その菓子の製造販売元であるA社を、著作権侵害として訴えました。
この事案では、裁判所は以下のように判断していますのでご紹介します。
「被告らは,いずれも加工食品の製造及び販売等を業とする株式会社であり,業として,被告商品を販売していたのであるから,その製造を第三者に委託していたとしても,補助参加人等に対して被告イラストの作成経過を確認するなどして他人のイラストに依拠していないかを確認すべき注意義務を負っていたと認めるのが相当である。また,前記認定のとおり,本件イラストと被告イラストの同一性の程度が非常に高いものであったことからしても,被告らが上記のような確認をしていれば,著作権及び著作者人格権の侵害を回避することは十分に可能であったと考えられる。にもかかわらず,被告らは,上記のような確認を怠ったものであるから,上記の注意義務違反が認められる。」
このように、外注先より納品を受けたデザインを、何ら著作権処理が適正かの検証を行うことなく商品パッケージ等に採用してしまうと、そのデザインが他人の著作権を侵害したものである場合は、発注元にも注意義務違反が認められ、著作権侵害の責任を負わされる可能性があるということになりますので、発注元の会社は、外注先によるデザイン作成の過程についてもきちんと管理しておかなければならないということになります。
とはいえ、外注先のデザイン創作の過程をすべて把握することは実際上困難ですから、万が一著作権侵害が含まれていた場合に備えて、損害賠償の範囲、額、さらに著作権侵害行為がないことの表明・保証についてあらかじめ契約で定めておくことが重要となってきます。
■知財がビジネス上の付加価値となるケース
このように、知的財産は、経営において大きなリスクとなり得る反面、これをうまく活用することで、ビジネス上の付加価値を増大させ、企業経営上の大きなメリットが得られるケースもあります。
⑴ セルフレジ事件(アスタリスク社vsファーストリテイリング社)
ファストリ社の経営するユニクロ、ジーユーの店舗に2019年頃から導入され始めた買い物かごを置くだけで中身の合計額が自動的に計算されるセルフレジについて、アスタリスク社が自社の特許権を侵害されたとして、東京地裁に差止めの仮処分命令の申立てを行ったのに対して、ファストリ社側は、当該特許の有効性を争い、両社が現在も係争中であることは一連の報道などでも広く知られているところです。
この特許の有効性については、特許庁の審判段階において一部無効との判断がなされたものの、知財高裁は特許庁の判断を破棄して全部有効であるとの判断を示しました。まだ、訴訟の最終的な帰趨は不明ですが、ファストリ社は、アスタリスク社との間で適切なビジネス上の関係を構築できない限り、このセルフレジの使用ができなくなった上で、多額の賠償金を支払うことになる可能性があります。
ところで、ファストリ社は新しいセルフレジを導入するにあたって、もともと取引関係にあったアスタリスク社とも交渉をしていたようですが、下請けに過ぎなかったアスタリスク社に対して、同社の製品を導入するとか、適切な特許のライセンスを受けるということは検討せず、一方的にアスタリスク社の特許の使用をファストリ社に許諾するようにということで、「ゼロ円ライセンス」を要求したと言われています。
今回のこの判決により、従業員100人程度の小さな会社でも、強い知的財産権を持っていれば、時価総額日本第7位という巨大な企業とも対等に渡り合えるということが、明確に周知されることになりました。昨今の、経営資源における知的財産権重視の傾向からも、今後ますます、中小企業にとって、有効な知的財産権を保有していれば、ビジネスチャンスを広げることができたり、大企業とも対等な交渉ができる結果、単なる「下請」を脱却して、大企業のビジネスパートナーともなりうるようになると言えるでしょう。
⑵ 株式会社ユニバーサルビュー
株式会社ユニバーサルビューという会社をご存じでしょうか。眼科医療機器開発ベンチャーとして2001年に設立された、(本稿執筆時点2021年6月15日の同社HPの記載によると)「社員数9名」の決して大きいとはいえない会社ですが、同社は知財の有効活用によって資金調達や信用獲得を成功させている会社の一つといえます。
ユニバーサルビュー社は、いわゆるピンホール原理をコンタクトレンズに応用し、レンズに微細な穴を穿設することで、度を入れなくとも近視、遠視、老眼のすべてに対応できるようにしたコンタクトレンズに関するアイデアで世界各国において特許権や意匠権を取得しており、その世界初の実用化に向けて活動を続けている会社です。
同社は創業当初は多方面に事業範囲を向けていたようですが、コアとなるピンホールコンタクトレンズなどのごく限られた範囲に事業活動に絞り込むことで資本を集中させ、大企業を含む競合他社に対して高い参入障壁を形成・維持する目的で、特許権や意匠権などの知的財産権の拡充に取り組むことに方針転換しました。
その結果、一部上場企業である東レ株式会社から出資を受けて共同でビジネス展開できるようになっただけでなく、そのような大企業から評価を受けた製品であるということが同社の信用につながり、ベンチャーキャピタルからの出資も獲得できるようになったそうです。
また、ユニバーサルビュー社は、韓国のコンタクトレンズメーカーとの間における知財紛争を約2年間にわたり徹底的に戦って勝訴し、国内外の業界内における同社の知財の存在感を顕在化させることにも成功しています。
同社は、さらにこのピンホールコンタクトレンズに対してウェアラブルデバイスとしての要素を付加したスマートコンタクトレンズの開発を行っており、これらの技術についても知財を拡充させながら発展を続けています。
■中小企業にとって、経営陣の知的財産リテラシーが、事業の成否を決める時代が来ている
以上のように、知的財産は、きちんと向き合わなければ事業を破綻させるリスクにもなり得る反面、しっかりとした戦略を作り、それに基づいて知的財産を活用することができれば、飛躍的に事業を拡大させるきっかけともなると言えます。
「知的財産は、一部の技術系企業だけが考えるもの」という考えは、もう通用しません。どんな業種、規模の企業であっても、経営陣の知的財産リテラシーと知財戦略が事業の成否を分ける、という時代が、もう既に到来しているのです。
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