執筆:弁護士 安田裕明
1 はじめに
日本の過労死は、「karoshi」というローマ字表記で世界に通じる日本発祥の言葉であり、世界的に知られた社会問題です。
平成27 年12 月に株式会社電通の女性新入社員が過労自殺し、平成28 年9 月に労災認定がされた事件については、皆様のご記憶にも新しいかと思いますが、本事件を契機として、過労死・過重労働に対する社会的批判は一層高まっています。
そこで、以下では、このような事案における会社の責任を踏まえた上で、過労死・過重労働の予防対策についてご説明したいと思います。
2 会社の責任
業務上の事由による労働者の傷病については、大きく労基法・労災保険法に基づく補償(以下、「労災補償」といいます。)と民事上の損害賠償の2 つに分かれます。これらの関係については、労災補償が行われた限度で会社は民事上の損害賠償責任を免れることになりますが、労災補償はあくまで財産的な損害に対する補償にすぎず、このような補償も月額給与の100%ではありません。そのため、会社としては、精神的な慰謝料や労災補償で補償されなかった財産的な損害については、民事上の賠償責任を負うことがあり得ます。
また、そのような責任は会社のみにとどまらない場合もあります。近時の裁判例では、長時間労働を認識し又は容易に認識できたにもかかわらず、これを放置し、是正するための措置を採らなかったことについて、取締役としての善管注意義務違反を認め、個人としての損害賠償責任を課したものがあります。
3 安全配慮義務
では、会社としては、上記のような責任を回避するために、どこまでの予防対策を講じる必要があるのでしょうか。
まず、会社は、労働者の生命、身体、健康を危険から守るべき義務、すなわち安全配慮義務を負うことが判例によって確立されており、これを受けて、労働契約法5 条では、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」と明文化されています。
この安全配慮義務の具体的な内容については、最高裁が「労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なる」と述べているように、個別の事例ごとに判断されることになります。そうすると、その具体的内容を一般化することは容易ではありませんが、これまでの裁判例に照らせば、①作業環境整備義務、②安全衛生実施義務、③適正労働条件措置義務、④健康管理義務、⑤適正労働配置義務の5 つに分けることができるとされ、そのうち、主に③~⑤の義務が過労死や過重労働に関係するところです。以下、個別の内容を見ていくことにしましょう。
4 適正労働条件措置義務
労働者の勤務状況を適切に把握した上で、業務内容や業務量を適切に調整して配分するなどの措置を採るべき義務をいいます。
まず、労働時間の管理に関する最近の裁判例を1 つ紹介すると、労働者が180 時間前後の時間外労働に従事して精神障害を発病して自殺した事案について、会社がその労働時間を把握しておらず、長時間労働をさせないように業務負担の軽減措置を採らなかったことを理由に、会社の不法行為責任に基づく損害賠償義務が認められました。
このように、長時間の過重労働が常態化していた場合に、仮に会社が長時間労働をしていることを知らなかったとしても、会社においては労働時間を把握する義務がある以上、これをもって免責されることはありません。なお、過労死事案では、自宅での業務(持ち帰り残業)をしている事案が少なくありませんが、このような場合、労働時間を特定することが困難であることから、労働時間数に算入されない場合であっても、最近の裁判例としては、時間外労働の精神的・肉体的負荷の程度を評価するにあたって考慮する傾向にあります。
その他、近年はパワハラという言葉をよく耳にするようになったかと思いますが、上司の叱責がどのような場合にパワハラに該当するかは微妙な問題です。一般的には、指導の必要性と相当性を判断要素として、業務上の適正な範囲を超えた場合にパワハラに該当すると判断されますが、会社としては、上司が暴言を吐いたり、他の従業員や顧客の面前で注意をするなど、不適切な言動が継続しているのであれば、かかる言動を中止するように指導教育する必要があります。また、上司の叱責自体がパワハラとして違法性を帯びないとしても、業務負担や長時間労働による心理的負荷が蓄積していたり、他の業務による心理的負荷が併存したりすれば、これらを加味して安全配慮義務違反を認めた裁判例もありますので、注意が必要です。
5 健康管理義務
健康診断又はメンタルヘルス対策を講じ、労働者の精神的健康状態を把握して健康管理を行い、精神障害を早期に発見すべき義務をいいます。
それでは、会社としては、労働者の健康状態に対して、どこまでの注意を向ける必要があるのでしょうか。
この点につき、最近の裁判例においては、部下の顔色が悪く、体調不良を把握していた場合に、単に調子はどうかなどと抽象的に問うだけでは不十分であり、より具体的に、どこの病院に通院していて、どのような診断を受け、何か薬等を処方されて服用しているのか、その薬品名は何かなどを尋ねるなどして、不調の具体的な内容や程度等についてより詳細に把握し、必要があれば、産業医等の診察を受けさせるなどした上で、部下の体調管理が適切に行われるよう配慮し、指導すべき義務があるとされました。
なお、最高裁判決では、労働者が自らの健康について申告がなかった場合であっても、部下から上司に積極的に申告することは期待し難いため、申告がなかったことをもって会社を免責することにはならないとされています。
このように、会社には、部下の健康状態を調査し、適切な措置を講じる高度の義務が課されているといえます。
そのため、上司が部下の健康状態の変化に目を配るようにし、早期の治療や業務負荷の改善に結び付けるよう教育することが重要です。
6 適正労働配置義務
個々の労働者の健康状態や労働能力に応じて、労働量を軽減したり就労内容・場所を変更したりするなどの適正な措置を行うべき義務をいいます。上記の適正労働条件措置義務や健康管理義務が事前の予防措置に関するものであるのに対し、こちらの適正労働配置義務は実際に労働者が健康状態を害することとなった場合の配慮義務に関するものであるといえます。
労働者が精神疾患により働けない場合、適正労働配置義務の具体化として、会社は配置転換を検討すべきですが、他方で、配置転換をすることによりむしろ症状を悪化させるものであるとして、違法と判断された裁判例があります。会社としては、労働者が配転先での勤務が可能か否かの点だけではなく、配転によって労働者の健康、症状を悪化させることにならないかについても、本人の意向や主治医等の意見を聴取するなどして検討すべきです。
7 最後に
厚生労働省は、平成28 年12 月26 日、長時間労働の是正、メンタルヘルス・パワハラ防止対策、及び社会全体で過労死等ゼロを目指す取組みの3 つの柱から構成される「過労死ゼロ」緊急対策を公表しました。そこでは、例えば、違法な長時間労働等を複数の事業場で行うなどの企業に対して全社的な是正指導を実施するとされ、また、違法な長時間労働を行っている企業名の公表制度について、その対象が拡大されています。
このように、厚生労働省の企業に対する指導監督はこれまで以上に強化されることになり、過重労働等がある事業主の皆様は、その是正に向けて真摯に取り組む必要があります。こうした取り組みに際して、お困りのことがありましたら当事務所にご相談いただければと思います。
(2017年8月執筆)
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