コラム

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「セクシー田中さん」と著作者人格権 ~著作物の利用と契約~

知的財産

2024.03.05

執筆者:弁護士・弁理士 田中雅敏

 「著作者人格権は、これを行使しない。」

 著作権を譲渡したり、利用を許諾する契約書には、こうした条文が入っていることが多いと思います。いわゆる「ひな形」的な契約書にも入っていることが多い条文で、一般的と言えば一般的な条文です。
 しかし、この「著作者人格権」というのは何か、ということを正確に理解して使用している人はどれくらいいるでしょうか?

 先日、「セクシー田中さん」という漫画の作者である芦原妃名子さんが、栃木県内で死亡しているのが発見されました。状況から自殺ではないかと考えられているとのことです。そして、その理由の一つが、この作品が日本テレビ系でテレビドラマ化されたときの、日本テレビ側との行き違いと、その対応に疲弊したことが理由ではないかと報じられています。これが、まさに、「著作者人格権」の問題です。

 なお、この記事は、この問題についての責任の所在を論じるものではありませんし、特定の個人や企業を非難したり、批判したりする意図は全くありませんので、誤解のないようにお願いします。

 この作品のドラマ化にあたっては、原作者である芦原さん、漫画の出版元である小学館、日本テレビなどの間で正式な契約書は交わされておらず、「口頭での契約」であったと報じられています。エンタメ業界では、きちんとした契約書を交わさずに作品が作られることは珍しくありませんが、その分、取り決めがあいまいになってしまい、当事者それぞれが「そうは思っていなかった」というトラブルが後で顕在化することが多いとも言えます。
 エンタメ業界に限らず、こうした「慣行で契約書はめったに作らない」という業界が他にも多々ありますが、当事者がお互いに嫌な思いをしたり、不測の損害を受けたり、法的な紛争に発展したりすることがないよう、契約書を作る扱いに変えていく必要があります。

 さて、話を「著作者人格権」に戻しましょう。
 この「著作者人格権」というのは、創作をした著作者に自動的に発生する権利であり、財産権としての「著作権」とは別の権利です。具体的には、以下のような権利が含まれています。

  1. 公表権(著作権法18条):著作物を公表するかどうかを決める権利
  2. 氏名表示権(同19条):著作物を公表する際に、氏名を表示するかどうか、及びどのような氏名を表示するかを決定する権利
  3. 同一性保持権(同20条):著作物の題号や内容を勝手に改変されない権利
  4. 名誉声望を害する方法での利用を禁止する権利(同113条11項):著作物が著作者の名誉を害するような方法で使われない権利

 そして、この権利は、「人格権」なので、譲渡することはできませんので、著作物を利用する側からは、後で色々と著作者に言われないように、「著作者人格権は行使しない」という条文を入れることになります。

 ちょっと分かりにくいので例を挙げましょう。
 例えば、私が素晴らしい人物画を描いたとしましょう(実際には、絵心がないので、素晴らしい作品を描ける可能性はほぼ0ですが)。シンプルなベージュのワンピースを着た一人の女性が、こちらを向いて、テラスに立って穏やかに微笑んでおり、背景には、豊かな田園風景が広がっているとします。
 そして、この作品がある企業の目に留まり、「ぜひ、当社の商品の広告に、イメージ映像として使わせてください!」と言われます。決して悪い気はしない私は、二つ返事で引き受けるでしょう。そして、簡単な「作品使用許諾契約書」なる書面にサインをします。その中には、この作品の著作権について、その会社の広告に利用することを許諾し、かつ、「著作者人格権はこれを行使しない」という一文が入っています。しかし、自分の作品が広く世界に知られるかもしれない、という事実に高揚している私は、深く考えるまでもなく、その「ひな形」的な契約書にサインをします。
 さて、いよいよ広告の初日、私はテレビや雑誌のCMで初めて私の作品に対面します。ところが、どういうことでしょう。私の大切な作品には改変が加えられ、絵の中の女性は、シックなベージュのワンピースではなく、その会社のテーマカラーである真っ赤なタンクトップを着ています。さらに、その手には、勝手に、その会社の製品が握らされており、さらに吹き出しで「〇〇って最高」などというポップな文字まで付されています。
 私は、あわててこの企業に連絡をします。しかし、企業の担当者からは、「著作物の使用料はきちんとお支払いしています。また、『多少の改変』は広告という性質上行いましたが、著作者人格権不行使特約も確認いただいていますので、問題ないとの認識です。広告に使うわけですから、広告効果の観点から、多少の改変があるのは当然ではないでしょうか?」という、きわめて事務的な回答が返ってきます。
 私は、すっかり世界観の変わってしまった私の「作品」が、世に広がっていくことを、羞恥と後悔の念を持って、指をくわえて見ているしかありません。

 著作者人格権は、このようなことにならないように、「勝手に私の作品を変えないでください」とか、「ちゃんと私の作品だとわかるように発表してください」といったような、著作者の「気持ち」の面を保護するものであり、創作活動を行う著作者にとっては、とても大切な権利です。このような「著作者人格権」を、簡単に「行使しない」としてしまう契約書を「ひな形」として使うなどとは、到底許せない、という気持ちにもなります。
 しかし、一方で、著作物を利用する側から見ると、また、違った景色が見えてきます。
 確かに、著作物を何らかの目的で「利用」する場合、元の著作物をそのまま利用できる場合は、むしろ少ないかもしれません。今回の「セクシー田中さん」のように、漫画をドラマにするとなれば、当然、ある程度の改変を加える必要があります。また、絵や写真であっても、ネットに載せる上で、若干の編集が必要な場合もあります。作ってもらった「社歌」や「校歌」も、時代とともに歌詞を少し変えたくなるかもしれません。キャラクタのデザインも、ぬいぐるみを作る際の技術的な制約から、元のデザインと寸分たがわずというわけにはいかないこともあります。
 そして、これらの「修正」に、いちいち原著作権者の承諾が必要であり、「NO」と言われたら一切改変できないということでは、到底、その十分な利用はできません。
 このように、「著作者人格権」は、著作者と著作物使用者の双方の利害や、想定される使用方法などを念頭に置きつつ、丁寧にルール決めをしておく必要があるものなのです。

 今回の「セクシー田中さん」でも、ドラマ化にあたっては、原作者の意図と離れた脚本で進められることに違和感を持った芦原さんが、何度も自分で脚本を書き直したり、最後の二話ではほぼ自分で脚本を書いたりしたと報じられています。それが事実であれば、精神的にも肉体的にも、大変な負担だったと思います。そして、そうまでして「原作者としての世界観」を守ろうとした、芦原さんの作家としての真摯な人柄を知ることができると思います。
 もっとも、これは、日本テレビや脚本家を非難する意味では、全くありません。限られた時間の中で制作をしなければならないテレビドラマの性質上、やむを得なかったとも言えますし、それぞれがベストと考えて進めたことが、結果的に、今回の悲劇につながってしまったのだとも言えます。

 誰かを非難するということではなく、仕組みとして改善すべき点は、こうした「どこまでの改変をするのか」や「改変の範囲を調整する手順はどのように進めるのか」といった議論をしっかり行い、そのイメージを当事者全員が事前に共有できるような、「明確な合意」と「契約書作り」を、きちんと行う「慣行」を作ることではないかと思います。

 著作者人格権に限らず、私たち弁護士がしばしば遭遇するビジネス上のトラブルは、どちらがどちらをだましたというようなシンプルなものではなく、実は、最初からお互いの意思や想定が明確に合致していなかった、という場合がほとんどです。
 形式的に「とにかく契約書を作ればよい」という訳ではありませんが、きちんとしたビジネススキームを協議し、その合意を書面に落とし込んで、「そもそも考えのずれがないか」を確認しながら進めることが、こうしたトラブルを防ぐためには必要と言えます。

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