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中国労働法判決 労働契約書未締結の場合のリスク ~人民法院により、企業に対して、総経理との労働契約書未締結を理由に2倍の賃金の支払いが命じられた事例~

国際ビジネス

2022.04.01

執筆者:フォーリンアトーニー 馬駿

【事実の概要】

中国人の伊何某(以下「甲」という。)は、2013年10月、A融資賃貸有限会社(以下、「A社」と略称する。)に総経理として入社したものの、A社との間で労働契約書を締結していなかった。2014年6月27日、A社は、甲の在職中の行為によって同社の経営に混乱を招いたこと[1]、及び、甲の提出していた職歴が虚偽のものであったことを理由に、甲との労働契約を解除することとした。

これに対し、甲は、A社の労働契約書の未締結が労働契約法に違反していることを根拠にして、2倍の賃金請求権がある旨を主張したうえで、実際に支払われた賃金との差額、労働関係の違法解除により生じる賠償金、未消化年休休暇の賃金等の支払を求め、北京市海淀区労働人事紛争仲裁委員会に仲裁を申し立てた。同委員会は甲の請求のうち一部を認めたものの、甲はこれを不服として北京市海淀区人民法院に提訴した。

甲の主張
A社が労働者と労働契約を未締結の場合は、2倍の賃金の差額を支払わなければならない。またA社が違法に労働契約を解除した場合、違法解除により生じる賠償金も支払わなければならない。
A社の答弁
甲が在職中にA社の労働契約管理業務を担当し、労働契約を何時でも締結できるような環境にあったのであるから、A社が甲と労働契約を締結しなかったとの事実はない。また、甲の提出していた職歴が虚偽のものであったことから、A社は、甲と労働契約を解除する権利がある(A社は、立証するため、社内の関連規則制度を提出していた。)。

【人民法院の判旨】

 〔一審判決〕

1.労働契約書未締結による2倍賃金差額支払について

①甲はA社の総経理であり、その職責は社内業務の全般的な執行であるところ、その中で同社の人事財務管理業務についても、一定の審査承認権及び管理監督権を有すると言わざるを得ない。そのため、従業員募集、A社の正式な印鑑(公印)の使用及び管理制度の決定には、すべて甲の最終承認が必要となる。しかし、甲の職責範囲には、人事管理に関する全般的な管理監督の責任はあるものの、労働契約書の締結手続等のような具体的な業務は含まれていないと考えられる。このことは、A社が自ら提出した印鑑使用審査表及び従業員募集申請書/従業員増員審査表の中に、甲の署名が必要な「会社総責任者承認」欄のほかに、「部門責任者/委託責任者意見」と「人事部意見」等の記載欄や担当者署名欄もあったことから立証できる。

②また、甲の招聘手続きは、A社の親会社が行い、その解任もA社の董事会と株主会の決議で可決したことに鑑みれば、甲に関する人事管理に関する決定権限は、A社の董事会及び親会社に属していたことが証明でき、甲が自らの労働契約書の締結につきその権限を有しないことは明らかである。

③さらに、本件訴訟の焦点の一つとしては、甲の賃金基準がある。賃金基準は、労働者の基本権利に係るものであり、法的にも労働契約書に記載しなければならない。労働契約書未締結の場合は、甲の当該基本的な労働契約上の権利がA社に侵害されていたと言える。よって、A社は、これに対しその法的責任を負わざるを得ない。労働契約法第82条に基づき、A社は、甲の雇用日から満1か月が経過した翌日に当たる2013年11月23日から2014年8月8日までの2倍の賃金の差額にあたる705,977元を甲に支払わなければならない。

④本案訴額となる甲の賃金基準は業界の会社責任者の年平均賃金と比較すると、やや高額[2]であるが、甲はA社の総経理であると同時に、労働契約法で保護されるべき会社の労働者でもあることは言うまでもなく、労働者としてその権益を保護されなければならない。従って、労働契約書の未締結により生じる2倍賃金差額を支払うべきかを審査する際には、その金額水準ではなく、支払条件が達成されたか否かで判断すべきである。

2.労働関係の解除について

当事者双方が係争中の労働関係が2014年8月8日の時点で解除されていたことを認めるが、その解除事由について、甲が本件の労働契約解除が違法解除であると主張したのに対して、A社は、甲が職歴を偽造し、A社の規則制度に違反したため、労働契約を解除したと反論している。

A社はその主張を立証するため、社内人事管理制度マニュアル(甲もその真正を認めている)を人民法院に提出した。その中では、労働者の提出書類に虚偽があった場合、A社は、その労働契約解除の権利を有するとの定めがあった。甲の提出していた履歴書には、職歴について過去某国際融資賃貸有限会社の総経理を務めていたとの記載があったが、その記載内容は、商業登記簿の記載情報と不一致であることが判明した。そこで、A社は、甲の違反行為が重大であり、本件の労働契約解除は、合法的であると主張した。このA社の主張立証を踏まえ、人民法院は、甲の主張を裏付ける事実や法的根拠がないとして、労働関係の違法解除により生じる賠償金にかかる甲の請求を棄却した。

3.よって、人民法院は、A社に対して、労働契約未締結による2倍の賃金の差額の70万元余りと未消化年休休暇賃金及び賃金差額等40万元余りを労働者に支払うよう命じた。

〔二審判決〕

 二審も一審判決の内容を全面的に支持し、A社の控訴を棄却のうえ、一審判決を支持した。

【実務上の留意点】

1.高級管理人員の労働契約締結問題について

 「北京市高級人民法院、北京市労働人事紛争仲裁委員会の労働紛争案件に係る法律適用問題シンポジウム会議紀要(二)」の第31条により、会社が、高級管理人員の職責範囲に従業員との労働契約締結の業務が含まれているのを証明したときには、当該高級管理人員が労働契約書の未締結による2倍賃金差額の支払を主張しても、人民法院は、これを支持しない。

 本件において、人民法院は、総経理が労働人事に関し全面的な監督管理責任を有すること認めつつも、個別具体的な労働契約書の締結業務まで担当・管理しているとは限らないと解釈し、A社に対して労働契約書の未締結を理由に2倍の賃金の差額の支払いを命じた。本件のような案件の再発を防止するため、今後、高級管理人員等の管理職や労働人事管理責任者の採用した場合、企業(又はその株主)としては、同人員に任せずに、自ら積極的に労働契約書の締結手続を進めるべきであるといえる。

 なお、本件審理において、A社は、甲に労働契約書の締結を申し出たにもかかわらず、甲がこれを拒否したと主張したものの、人民法院に対して何らの証拠を提出しなかった。もしA社が当該事実を立証できていれば、判決の結果が変わっていた可能性は十分あるとも思われる。

2.労働契約の解除について

 実務上、会社が社内規則違反を理由に労働契約解除の合法性を立証することは、容易ではないことが多い。本件の場合は、A社が社内規則を労働者によく周知したうえで、虚偽に関する証拠を綿密に収集して解除権を行使したことについて、人民法院は、労働契約解除の合法性を認めた。この点に関する人民法院の判断は、今後、中国企業において社内規則違反を根拠とする労働契約の解除を検討する際に、参考となるべき事例といえる。


[1] A社は、甲が、雲南省国資委員会が発行した『雲南省所属企業の公務用乗用車の購入・配車管理弁法』に違反し、同弁法が定める基準を超えて公務車両を賃借していたこと(事実上の購入)を主張立証していたものの、人民法院は、判旨でこの点については一切触れなかった。

[2] 中国国家統計局の発表により、2013年の融資賃貸業界の会社責任者の年平均賃金は、243,898元であり(中国政府公知サイトhttps://mp.weixin.qq.com/s/8P8ugcRPZ82iK-7sviKDvw)、これと比べると、本件の訴額、即ち甲の賃金基準は、やや高いと人民法院に指摘されていた。

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